最近つくづく感じる、CAの香り。
今日こそCAとバレないように空港でランチしよう!と思ってレストランに入った矢先に、
「CAさんですよね?」
と店員さん。
え・・・なんでバレるんだろう(・・;)
空港やステイ先でバレるのは、仕方がない気もします。
だって、CAに溢れかえってますものね!笑
でも、ステイ先とは関係ない街中でも、
「CAさんですか?」
とバレたりするので、ギョッとします・・・笑
「CAさんですよね?」
ならまだしも、
「明日はどこ飛ぶの?」
と唐突に言われて、腰が抜けそうになったこともありました。笑
何も言わなくても、風貌でバレるようです。
ちなみに、目が肥えた方だと、会社までバレるようです。
Lunaも何度、「◯◯のCAさんですよね?」と、会社を当てられたことか(>_<)
ま、Lunaも、街中で、「わ~あの人CAっぽい!ついでにうちの会社っぽい!」と察知して、その予想がだいたい当たっているので、バレる理由は、よくわかるんですけどね。
とにかく、いつどこでバレてもいいように、いつも行動に気をつけよう・・・(・・;)笑
くだらない話しは、この辺りで終わりにして、Lunaが痛切に感じたのは、果たしてLunaは、そして、摂理人たちは、摂理の香りを放っているのだろうか?ということでした。
試練を受けて錬達し、鍛錬した人生は、雨風と吹雪にも花を咲かせて、その香りが漂う。
人生もそうだ。
(2014年2月14日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
摂理や鄭明析先生への誤解がたくさんあることに心を痛めて、真実を伝えたくて、書き始めた摂理ブログだけれど、Lunaが、いつも生活の場で、CAとしての香りだけを放って、摂理人としての香りを放っていないのだったら、摂理CAとして、どんなに摂理ブログを熱心に書いていても意味がないと思います。
CAの香りだけに満ちて、摂理の香りを忘れたら、このブログが死にます。
「CAさんですか?」
ではなくて、
「もしかして、摂理人ですか?」
と、嬉しそうに聞いてきてくれる方をLunaは待っています。
そういう人たちが増えるように、世の中が変わっていったらいいなと思いますし、そんな時代が来るように、摂理人であるLunaと、全ての摂理人たちが、各自の生活の場で勤しんで変化して、摂理の香りをもっと放っていかなければならないのだと感じます。
Luna