世界で目にする<祈り>の生活に摂理CAが思うこと


日本にいると、<祈り>が特別のことのように思えますが、世界では、<祈り>の場面が各所で見られます。

 

例えば、機内食には、「祈りを捧げた食事」というのがあります。

ユダヤ教の方が召し上がるお食事です。

機内に限らず、世界のグローバルなホテルでは、対応していますね。

 

また、世界の空港では、’Pray Room’ という表示をよく見かけます。

日本語にすると、「祈祷室」。

こちらは、イスラム教の方たちが使われます。

 

先日、仏教徒の国タイへ行った際には、繁華街で、熱心に祈っている方たちの姿を目にしました。

 

もちろん、キリスト教徒たちも、祈ります。

 

どんな宗教も、祈るでしょう。

 

こんなに多くの人たちが、<祈り>と密接に関わって生きているのに、完全なる平和が訪れない世界の現実。

また、<祈り>とほとんど無縁の日本が、無条件に<宗教>を煙たがることで、物質的には豊かでも、精神的な豊かさを得られず、様々な問題を引き起こしている現実。

 

こうした現実を目の当たりにする度に、鄭明析先生が、祈りについておっしゃっていたことを深く考えさせられます。

 

<祈り>は「神様から決裁を受けるためにすること」だ。

祈らなければ、神様が決裁してくださらない。

<祈り>で天の前に切実に状況を告げなさい。

神様がお聞きになって、感動し、適切であれば決裁なさる。

(2015年3月9日  摂理・鄭明析牧師の御言葉)

 

祈る人たちは、世界に多いけれど、神様がお聞きになった時に、感動し、適切な<祈り>を捧げられる人は、多くはないのかもしれません。

 

世界を飛べば飛ぶほど、募るLunaの思い。

 

ただ、神様。

 

神様からの決裁を受けるにふさわしい<祈り>を捧げる1人になりたいです。

 

Luna

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆