飛行機は出発しなければならない


先日、あるフライトにて、1人のお客様が出発時刻になっても、いらっしゃいませんでした。

グランドスタッフの方が、「このお客様は、以前も、飛行機に乗り遅れたのです」と悲しそうな顔でおっしゃり、「だから、今回は、なんとか飛行機に乗らせたいです」という思いが伝わってきました。

Lunaは機内にいたのですが、機外では、グランドスタッフが走り回り、アナウンスを入れ、声を張り上げてお客様の名前を呼んで、お客様を必死で探していたようでした。
もしかしたら、こちらの手違いで、実は、機内に既にご搭乗されたのかもしれない、とも思って、グランドスタッフが機内に乗り込み、CAと一緒に、機内でも捜索しました。
もちろん、管制官と機長も、これらのやり取りを知っています。

しかし、見つからず・・・

待つこと10分。

お客様は、いらっしゃいません。

機内では、他のお客様が、出発時刻になったのに、一体なぜ出発しないのか、とざわつき始めました。

あと1人、ご搭乗されていないお客様がいらっしゃいます!
待ちたいです!
乗せたいです!

しかし、そう叫ぶことはおろか、待つことはできません。
飛行機は、出発しなければなりません。

たった1人のお客様であっても、大事なお客様です。
だから、もちろん、基本的には、待ちます。
でも、待つにしても、いつまでも待つことはできません。
悲しいけれど、飛行機の出発時間を、たった1人のお客様のために、しかも、いつ来るかわからないお客様のために、いつまでも遅らせることはできないのが、世の常です。

そして、飛行機のドアが閉まり、飛行機は出発しました。

悲しくなったLunaに、

「人生も、このように、こうだ。人間の責任分担だ。」

と主がおっしゃった気がして、はっとしました。

私達が乗るべき<人生の飛行機>があって、1人も欠かすことなく<飛行機>に乗せようと、これまで何度となく気をもんで、心と思いと命を尽くして、私達を探し、呼んでいらっしゃった主の姿、そして、今もそのよう私達を探し、呼んでいらっしゃる主の姿が思い浮かびました。
でも、どれだけ手をつくしても、私達人間が、その機会を迅速につかまなければ、時は待ってくれません。
<飛行機>は待ってくれません。
乗るか乗らないか、乗れるか乗れないか、最後は、私達人間の責任でしょう。

御子は地球世界のみんなにも約束なさったし、摂理世界のみんなにも約束なさった。
そして、約束した通りに時間を守って、行なう。
しかし、御子と約束したことと約束した時間を守らなかった人に対しては、そのまま通り過ぎる。

バスも飛行機も、定刻に合わせて乗ろうと待っている。
御子も定刻に合わせて待たなければならない。

バスや飛行機に乗る人が時間を合わせて出てきて出て来て待つのだ。
御子も、迎える人たちが準備して、出て来て待つのだ。

2000年も待った御子であり、主だ。
新婦が準備して出て来て、遠くから来る御子と主を見つけて、呼んで、走っていかなければならない。

乗せる人が待っていたら、既に乗っている人たちがもう時間だから行こうと催促する。
だから愛する人がまだ来ていなくても出発しなければならない。

(2013年12月2日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

飛行機に乗れなかったお客様が、人間の姿に重なりました。
もちろんLunaの姿にも。

飛行機は出発しなければなりません。
だから、どうか出発する前に、必ず、飛行機に乗ってください。

哀願する主の心情を悟った出来事でした。

そして、ギリギリでも、<2015年に乗るべき人生の飛行機>に乗せてくださった主に感謝します。

<2016年に乗るべき人生の飛行機>にも、続けて、乗り遅れることなく、乗ることができますように。
そして、その<飛行機>に、1人でも多くの人達が、1人も欠かすことなく乗れますように祈ります。

Luna

ABOUTこの記事をかいた人

摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆