<過去>よくやっていたとしても、<現在>もよくやらなければなりません。
<過去>名を轟(とどろ)かせていたとしても、<現在>名を轟かせなければなりません。
<過去>幼く微弱だったとしても、<現在>成長してよくできれば、その位置で貴重に使われます。
(2016年9月18日 摂理・鄭明析牧師の主日の御言葉
「過去、王として過ごした人たちよ。今は何をしているのか。」)
この御言葉を聞いて、職場(機内)を振り返って、考えたことがありました。
それは、機内の出会いは、一期一会だということ。
だから、いつもという<過去>、昨日という<過去>、さっきという<過去>に、お客様に、とっても感じが良い印象を与えていたとしても、今日、いや、今この瞬間という<現在>に、たまたま何らかの理由があって感じが良くなければ、その人は「感じの悪いCA」として認識されて終わりです。
最悪、お客様からクレームをいただくことでしょう。
厳しいけれど、それが現実。
お客様が、いつ、どこで、見ているかわからない。
だから、機内ではもちろん、生活の場でも、いつも感じの良い印象を保てるように努力するのです。(そんな素敵なCAばかりではないのも現実ですけれどね・・・苦笑)
でも、それって、CAだけに求められることではないと思うのです。
天も、いつも、私たち人間のことをご覧になっていらっしゃいます。
先日、ある女性牧師さんが、こうおっしゃいました。
「みなさんの、ちょっとした一言、ちょっとした言動を振り返ってみてください。あー疲れた。あーいやだなぁ。そういう一言、放っていませんか?それが、天への態度ですか?」
ギクリとしました。
鄭明析先生は、いつでも、天に対して、真心を込めて、接します。
一言だって、そんな発言は、されないでしょう。
<現在>どのような表情、どのような心・考え・精神、どのような行ないでもって、天の前に進み出ているのでしょうか。
いつも振り返る必要がありますね。
Luna