摂理☆祝福の方程式のブロガーsatoさんが、Lunaのブログを紹介してくださいました(^^)
ありがとうございます☆
気が狂った、と言われた鄭明析先生の愛。
気が狂った、と言われた鄭明析先生の愛。の裏話。
裏話の方では、lunaとlunaticに関する考察がされています。
大変勉強になりました!!
英語の’lunatic’には「精神異常」「狂気的」といった意味があります。
語源を辿ると、ラテン語で「月(luna)に影響された」。
昔から「月から発する霊気に当たると気が狂う」と言われているそうです。
え、嘘、知らなかった・・・汗
月は、聖霊様の象徴☆
聖霊様のような美しい女性になりたくて、「Luna」というブログ名をつけました。
名前の由来はそれだけだったのですが・・・
でも、satoさんの記事を読んで、そういえば、思い出したんです!!
イエス様の時代、主を信じ、熱い聖霊を受けた信徒達は、喜び踊り、人々は彼らを見て、「あの人達はどうしたのか。酒を飲んでいるのか。気が狂っている」と言ったと。
lunaとlunatic、なかなか深いと、感銘を受けたLunaでした。
ところで、「気が狂っている」「精神異常」とは、どういう状態のことを言うのでしょうか。
人々は、自身を「正常」、自身と異なる主管圏の人々を「異常」と呼ぶ傾向にあります。
常識的に考えて、ある程度判断できることもあるのは事実ですが、何が「正常」であり、何が「異常」であるか、そもそも人々が下している判断というのは、極めて曖昧な判断基準によるものだという可能性も高いです。
satoさんもご指摘なさっているとおり、誰が「気が狂っている」のかは、詳しくよく見なければわからないですよね。
誰でも<患難の時>は、「患難」と戦うために無我夢中だ。
しかしこのことを知らない人はちゃんと見ないで「気が狂った。変だ」と言う。
(2016年4月11日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
人には「異常」に見えても、神様が見た時に「正常」な生き方ができることが、Lunaの求める理想の女性像であり、人間像です。
まさに、今、摂理で最も注目されているテーマ「聖三位と主との生活の愛」を成し遂げた時に、ようやく「正常」な生き方ができるのでしょう。
まだまだ「正常」には足りないLuna。
目指すは、人々が「気が狂っている!」と噂をするくらいに熱い聖霊を受けて、いつも喜び感謝する人生。
名前に見合う生き方ができるように、もっと飛躍しようと思ったのでした(^-^)/
Luna