摂理の音楽ー神様に捧げる芸術の美しさ


Lunaがまだ摂理に来ていない高校生の時、音楽の先生が、「キリスト教音楽の完成度の高さに叶う音楽はない」とおっしゃっていたことがあります。
学内の合唱コンクールの曲決めの時のことでした。
Lunaはミッションスクールに通っていましたが、Lunaの知る限り、現在の日本のミッションスクールは、宣教を第一の目的として運営しているわけではありません。
だから、クリスチャンでない先生もたくさんいらっしゃいます。
生徒たちも、親御さんも、クリスチャンは多くはないですね。
まぁ毎朝、祈って、讃美を捧げてから、授業が始まるのが日常でしたから、キリスト教にアレルギーのある方は、もともといらっしゃらないでしょうけれど。笑
この音楽の先生も、クリスチャンではありませんでした。
Lunaの学校の合唱コンクールでは、課題曲はキリスト教音楽(讃美)、自由曲は、文字通り、生徒たちが自由に選べたのですが、自分たちで選ぶのも限界があります。
それで、音楽の先生に相談してみたら、「いい合唱をしたいなら、キリスト教音楽の選曲がベスト」ということでした。
音楽にも宗教にもアマチュアな生徒たちの納得できない顔を見て、音楽の先生は、続けてこうおっしゃいました。
「音楽の世界で、キリスト教音楽の評価は高い。神様を信じる人たちが神様のために捧げる音楽は崇高で、この崇高さに秀でる音楽はない。否定しようがないことだ。」
クリスチャンではない先生が、強く、はっきりとおっしゃったからこそ、Lunaの心に響いた一言でした。
Lunaだけではなかったのでしょう。
結局、自由曲も、キリスト教音楽を選曲するクラスが毎年多かったです。
実は、Lunaの母は、歌とピアノの先生。
Luna自身、音大を目指していた時代もありました。
人並みか、人並み以上には音楽と共に育ってきたLunaだったけれど、この時に音楽の先生がおっしゃっていたことや、音楽や芸術の真髄について、はっきりとわかるようになったのは、摂理に来てからでした。
まことに芸術を愛するものは、その芸術の一番深いところに神様がいる。
神様を知らない芸術は芸術ではない。
神様はすべての芸術の創始者であり、全ての芸術の始まりだ。
神様の心を慰めなさい。
永遠なその威厳を讃美するのだ。
あなたがたは神様によって存在しているのだ。
(2010年3月27日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

キリスト教文化の根付くヨーロッパで生まれたバッハ、ショパン、モーツァルト、ベートーヴェンなどのクラシック音楽が、今でも世界中の人々の心に共感を呼ぶのも、神様に捧げた曲の美しさと普遍性を物語っているのでしょうね。
芸術とは自分自身を表すことではない。
自分自身を通して、天を表現することであり、天への愛を表現することだ。
(2014年8月5日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

ひたすら、ただ神様のために捧げる摂理の音楽も、既に多くの人々の心に感動を与えていますし、きっと、何世紀経っても、受け継がれていくのだと思います♪
Luna

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摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆