仕事ばかりするなー祈りと愛の生活


先週の主日の御言葉で<祈り>の必要性を再認識して、摂理ブログについても、見直すようになりました。
もっと<祈り>を根本として更新しなければ、御心に叶う記事が書けないと思っていたところに、今週こんな御言葉を聞きました。

仕事ばかりするな。
働かなくても、大変な思いをしないで、得るものがある。
心と思いと命を尽くして祈りなさい。
神様と聖霊様と御子に感謝しなさい。
栄光を帰しなさい。
自分を救ってくれた人に感謝し、喜んで生きてみなさい。
そうすれば「翼」が生えて飛ぶようになる。

(2015年6月22日 摂理・鄭明析牧師の明け方の箴言)

摂理ブログの更新が仕事かどうかは、考え方次第ですが(Lunaが好きで勝手に始めたことですからね!笑)、いつの間にか、摂理ブログの更新を含めて、摂理のあらゆる仕事をこなすことにばかり夢中になっていなかっただろうか?と考えさせられます。

祈らずして、摂理ブログを書いても、
祈らずして、摂理の仕事を必死にしても、
御心に叶わないから、聖三位がお受け取りにならないでしょう。
だから、祈らずして、働いても、ただ大変な思いをするだけで、喜びがなくて、結局、何も得られなかった気がして、虚しくなるのだと思います。

「愛がなければ無に等しい」という聖句を思い出します。

たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
(新約聖書・コリント人への第1の手紙 13章1〜7節)

<祈り>とは、「愛」だと、摂理・鄭明析先生がおっしゃいました。

聖三位を愛し、主を愛する分だけ、もっと祈る生活をしようと思います。

Luna

ABOUTこの記事をかいた人

摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆