大学の歴史と価値ー<上智大学 神学部>に摂理人が思うこと


上智大学出身のLunaのお友達(ちなみに摂理人ではありません☆)が、4月から上智大学の大学院に行く予定だそうです。
神学部を卒業して、しばらく社会人として働いていたのですが、もっと勉強したい!という思いが強まったそうで、大学院で神学の研究をするとのことでした。
いつまでも勉強したい思い、素敵ですね★
「神学なんて珍しいでしょ?日本人では普通ではないよね?」と、苦笑いしていた彼女を見て、いやいや、そもそも大学の起源は、ヨーロッパの神学部だし!!と、とても複雑な気分になりました。
ヨーロッパで大学が生まれた中世には、敬虔なクリスチャンである一部のエリートしか、大学には行けませんでした。
本来、宗教を基盤に始まったあらゆる学問が、いつの間にか、宗教と乖離してしまいましたが、宗教と大学を切り離して考えることの良し悪しについて、じっくり吟味する必要がありそうです。
少なくとも、純粋に、大学で神学の研究をしたい彼女が、後ろめたさを感じてしまうような社会のあり方は、どうなのだろうと心が痛くなりました。
もしかしたら、今ある日本の、そして世界の大学の在り方こそが、普通ではないのかもしれないですよね。
数年前には、『世界がもし100人の村だったら』という本がベストセラーになりました。
世界がもし100人の村だったら、大学に行ける人は、たった1人だと言います。
いろいろな事情で大学に行きたくても行けない方もいらっしゃると思いますし、別に大学に行かなくてもいいと思いますが(鄭明析先生も大学に行かれていないけれど博識です☆)、大学進学率が比較的高い国の1つが日本。
大学の歴史を忘れたら、大学で学ぶ価値が死んでしまうような気がします。
せっかく大学に行き、大学を卒業する(した)ならば、その価値をわかって、人のため、社会のため(そして願わくば神様のため)に、それに見合うだけの働きをしたいですね。
Luna

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ABOUTこの記事をかいた人

摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆