摂理で学ぶサッカー審判の歴史


鄭明析先生の故郷・韓国は、サッカーが熱い国!!
もちろん、鄭明析先生も、サッカーがとてもお上手です☆
サッカーと言えば、普通は、選手に着目がいくものだと思いますが、先日、鄭明析先生の弟子で、韓国人の牧師さんが、「審判のないサッカーは、サッカーではない」とおっしゃっていて、恥ずかしながら、審判の重要性を初めて知りました。
牧師さんが、「サッカーは何チームですると思いますか?」という質問を投げかけました。
「え?2チームじゃないの?」
と思ったLunaは、審判のことをわかっていない証拠…(*_*)
牧師さん曰く、AチームとBチームと、審判チームの3チームでサッカーをすると。
確かに、そうですよね。
審判がいてこそ、サッカーが成り立ちます。
牧師さんが「審判は、仲裁者であり、争いを和解させる人だ」とおっしゃっいたことが印象的でした。
自分の競技がうまくいかなければ、選手たちが審判に悪口を言うこともあるし、自分が応援している選手がうまくいかなければ、聴衆たちが審判に悪口を言うこともあります。
公平なJudgeをするためには、聴衆も選手も尊く思って、良心的・人格的でなければなりません。
なんと、イギリスでサッカーが生まれた当初は、審判がいなかったそうです。
審判の深さについて、考えさせられました。
鄭明析先生のサッカーは、人ではなく、神様を中心とすると聞きます。
摂理サッカーの醍醐味をLunaもまだまだ味わいきれていないのですが、これから、少しずつ、勉強して、可能な範囲で、みなさんにも還元していけたらと思っています(^^)
Luna

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摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆