摂理で学んだ天法ーただ神様・聖霊様・御子だけが「公義の裁判」をなさる


Lunaが小さい頃から、父は、ニュースを見るたびに、よくこう言っていました。
「人間が人間を裁いていいのだろうか。人間は神様ではない。完璧ではない。間違っているかもしれないじゃないか。」
聖書にも、こう書いてあります。
人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あながたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
(新約聖書/マタイによる福音書7章1~4節)

Lunaの父も、Lunaと同じく、キリスト教教育を受けて育ったことが影響しているのでしょうか。
そんな父の影響もあって、Luna自身、人間が人間を裁くことに大きな疑問を持って、育ちました。
みなさんは、『それでもボクはやっていない』という映画をご存知ですか?
2007年に公開された日本映画です。
フリーターの男性が、朝の通勤ラッシュの時に、女子中学生に痴漢と間違えられてしまい、無実の罪を被る話しです。
人間が裁判することの限界や矛盾について、わかりやすく理解できる映画の1つだと思います。
過去に、無実の方が有罪に問われ、後から無罪だったことがわかった判例などを、いくつか耳にしたことがある人も少なくないでしょう。
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ただ神様・聖霊様・御子だけが「公義の裁判」をする。
(2015年2月6日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

鄭明析先生の言葉が心に沁みます。
Luna

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摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆