摂理CAが不思議に思う、お金があるのに「献金」しない日本人


ミッションスクールに通っていたLunaにとって、摂理に来る前から「献金」は生活の一部でした。
毎月「献金」するのは、お小遣いしかもらっていない中学生の時から、当たり前のこと。
自分が生きるか死ぬかのギリギリの生活ならともかく、生活に僅かでも余裕があるならば、誰かのために「献金」するのは、人として、当然すべき義務ではないかと思っていたので、お金があるのに積極的に「献金」しない人たちが不思議でたまりませんでした。
そのお金がどこへ行くのか、正しいところに正しく使われるのかわからない、という懸念から、「献金」しないという選択肢は、あり得ると思いますが、Lunaが疑問だったのは、大半の人たちが、そこまでしっかり考えているわけでもなく、「献金」に興味がない日本の実態でした。
Lunaが学生時代、とある外資系の会社でアルバイトやインターンをしていたのですが、いつも各所に献金BOXが設置してあって、世界で何か起これば、新しい献金BOXが直ちに設置される社風には、さすがキリスト教の国!と脱帽しました。
キリスト教の国では、収入の10分の1を「献金」するのは、当たり前なんですよね。
だから、日本人のようにケチケチ小銭を「献金」したりしません。笑
太っ腹でお札を「献金」する欧米人たちを見て、日本人として何度となく恥ずかしい思いをしました。
世界一お金持ちと思われている日本人。
実際に、世界的に見た時に、比較的お金があることは言うまでもありません。
それなのに、お金のある日本人はなぜ「献金」しないのか?
深い考察ができそうですね。
その考察は各自でしていただくとして、摂理・鄭明析先生が「献金」について、おっしゃっていたことをご紹介します。
神様は
献金を捧げる時の心持ちもご覧になるけれども、
この献金を使う時の
心持ちも徹底的にご覧になる。
献金を捧げてから、
人間の考え通りに献金を使うなら、
それはむしろ献金を
しないほうがましだ。
だから、献金は必ず
神様がどこに
もっと重要性をもって
使いたいと思っていらっしゃるのか、
必ずその心情を分かって
使うのが大事だ。
献金を使う時は、
必ず天の功績として残るところに
使うということが法、基本だ。
献金を天の仕事と
まったく関係ないところに使うことは
法を犯すことだから、
知らないでやったとしても
必ずその代価が伴う。
(2010年6月10日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

摂理の「献金」について、日本では、特に誤解が多いように思いますが、そのことは、日本に、歴史的、文化的に「献金」文化が根付いてこなかったことも起因しているのかもしれませんね。
ただ神様のために捧げ、ただ神様のために使う「献金」。
そのためには、摂理人たちも再三教育を受ける必要がある分野の一つですが、「献金」について、もっと、世界的な視野で考える人たちが日本に増えればいいな、と世界各地を駆け巡りながら、今日もLunaは思うのでした。
Luna

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摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆