電車で移動中の、ある日のことです。
電車に乗る前は、雨が降っていたけれど、電車に乗っている間に、雨が止んだようにも見えました。
でも、夜だったので、はっきり見えませんでした。
改札を出たら、傘をさしている人が目に入りました。
あ、さっきよりは、小雨になったけれど、やっぱりまだ雨が降っているんだなぁ!
と思って、傘を広げて、目的地まで歩いて行きました。
目的地に着いて、傘を閉じた時に、異変に気づきました。
あれ・・・傘が全然濡れていない!!
その時に初めて気づきました。
あれ・・・雨、降っていない!!
その時に思い出した御言葉です。
<認識>を間違ったら、そのとおりに考えと生が「慣らされて」苦労する。
(2014年11月21日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
雨が降っていようが、降ってなかろうが、傘をさそうが、ささなかろうが、正直、どっちでもいい、どうでもいい問題だと思います。笑
なぜなら、これは、小さな問題だからですね。
しかし、生活の中の小さな問題を通して、人生の大きな問題について、悟ることができると思います。
少なくとも、Lunaは、この一件で、認識の恐ろしさを、実体験して、気を引き締めました。
神様も、いないと脳に入力しておいたら、神様が絶対にいると信じて生きる人と同じく、考えが固く、否定する。
認識を間違って生きたら、自分の間違った認識どおりに行なうようになる。
だから、認識はとても重要だ。
認識が間違ったら、人生も駄目にする。
(2014年11月21日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
認識を正しくし、人生を成功させられますように。
Luna