摂理で得る教訓ー他人事ではなく、自分のこととして捉える


一昨日、「天の言語」を聞き分ける秘訣として、自分とつなげて悟ることについて書きましたが、全てのことは、自分とつなげて考えられるか否かが、大事なポイントであるように思います。
職場でも、何か事象・事例が起こったときに、他人事と捉えたら、成長がありません。
能力が高い人ほど、「明日は我が身」と、自分の教訓にしている印象を受けます。
生活における経験や、世界規模で起こっている社会問題も、自分とつなげて考えようという意識があれば、主人意識を持って何か行動を起こすけれど、他人事と捉える人は、見て見ぬふりをして何もせずに終わってしまうでしょう。
主は万物を見せて下さり、人々を通して見せて下さって、私たちと対話なさいます。
神様と主は私たちを愛していますが、私たちに直接「このようにしなさい。あのようにしなさい」とおっしゃるよりは、ほかの方法で私たちに話したいことを伝えて、わかるようになさいます。
いちいち話さないで、万物を通して、 または、いいことも悪いことも目で見るようにさせて、それによって神様の 御心を悟るようになさいます。
火事や惨事や様々ないい兆候、悪い兆候を何回も繰り返して見せて下さいます。
交通事故にあって怪我をし、死んだ人たちを見るようにさせて「間違ったらあなたもこのようになる」と誰もが悟るようにしてくださいます。
一つの事件を通して、それぞれ自分の行ないに応じて悟るように啓示をし、 「このことを教訓にして気をつけなさい」とおっしゃいます。
神様と主は望んでいらっしゃることをはっきりと見せて悟らせ、その御心を伝えていらっしゃいます。
(2009年2月1日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

神様が、私たち各自に悟らせ、教訓にするように願って、毎日様々なものを見せてくださっています。
しかし、人々は、どうする傾向にあるのでしょうか?
人々は、一つの事件が起こると、見物するところでとどまります。
主は 「人々はいいこと、悪いことを見ると、悟って、衝撃を受けて、数日間は 緊張し、気をつけ、がんばることもあるが、何日か経つと、すぐに緊張をゆるめて、悟らせてもらったことを守らない。だから事故にあい、いいものを得る機会を逃し、または死ぬこともあり、一生苦労することもあり、何年も苦痛を味わう」とおっしゃいました。
(2009年2月1日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

ひぇ~((((;゜Д゜)))
他人事にしてる場合ではない御言葉です。。。
神様は、万物以外にも、人を通して、事件を通して対話され、何も見せない時には、良心や心で直接悟るように感動をくださり、更には、夢でも語りかけてくださると言います。
また、聖書や御言葉そのものも、神様からのメッセージに他なりません。
こういった「天の言語」を他人事と捉えるか、自分のこととして捉えるるかという、一見ほんの些細な差によって、大きく運命が変わっていくわけです。
もったいない(´д`|||)
「天の言語」に私たちがもっと関心を持って、自分に該当する多くの教訓をちゃんと得ていきたいですね!!
Luna

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摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆