基準を立てることの厳しさ


CAになりたい摂理人達や、現役CAの摂理人達の相談によく乗るようになりました。

その度に、ちょっぴり複雑な気持ちになったり。

なぜなら、LunaがCAになる時には、相談できるCAのメンバーが誰もいませんでした。
むしろ、信仰を守ることができず、摂理を離れていったCA達の話しばかりされて、CAになることそのものを指導者達に反対されました。
(まずは教会に行けないですからね。)

結局いろいろ経緯があって、やむなく?CAになったのですが、先人が誰もいない道を歩むのは、簡単なことではなかったです。

今、CAとして、ひとまず元気に信仰生活を送っているモデルが1人でもいるのは、全くいないのとは、大きな違いだと思うのです。

それで、

なんでLunaだけ、こんなに苦労しなければいけないんだ。
みんな、楽に、その道を歩めて、いいなぁ。

と、羨ましいような、悔しいような気持ちになったわけですが、すぐに、それは主の心ではない!!と思って反省しました。。。

しばらくして、悟ったことがあります。

それは、基準を立てることの厳しさ。
Lunaが味わってきた厳しさではなく、主が飲まれてきた苦い杯が思い浮かびました。

どんな分野であれ、道なき道を行くには苦労はつきもの。
しかし、主は、「どうして私ばかりこうだ」と一度でも不満をおっしゃったことがあるだろうか。

そこが、Lunaの、主の心と違うところだと分かって、悔い改めました。

主が立てられた基準とは、どのようなものものなのか。
主と共に、苦い杯を笑顔で飲むとは、どういうことなのか。

もっと深い悟りを得られますように。

Luna

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摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆