Lunaの摂理での信仰生活の送り方は、極めて、特殊です。
Lunaの個性もあると思いますが、往々にして、CAであるゆえ、特殊であるというところが大きいと思います。
(しかし、CAの中でも、特殊だと思います。笑)
どのあたりが特殊かというと、いろいろありますが、所属教会には、ほとんど現れず、所属教会では、ほぼ何もしていないのに(←なぜならCAである限り不可能)、各地に広がる摂理教会の皆さまと仲良くし、一緒に活動させていただく機会が多いことかな。
各地の皆さま、仲良くしてくださって、ありがとうございます。
これを「うらやましい!」とおっしゃってくださる方々もたくさんいらっしゃって、光栄な限りですが、本当ならば、もう少し、所属教会で何かしたいかな・・・涙
各地で使われるのは嬉しいのですが、逆に、びっくりするほど教会で使われていないので、とってももどかしいのです。
でも、CAである限り、「教会で何かをする」というのが現実的に無理なので(もちろん、「何か」の程度はありますがね。)、しょうがないですよね。
それで、Lunaは、よく「あーみんなCAの心情をわかってくれない」と心の中で思うのが習慣になっていたような気がします。
いろいろな牧師さん達とお話ししても、いつもCAの話しをしては、
「あーこの方も、やっぱり、CAのこと全然わかってないわー」
と思いました。(なんて、あまのじゃく!すいません、Lunaは、プチ問題児です。。。)
次第に、
「CAじゃないと、絶対に、わからないだろう、この心情!」
と思うようになり、Lunaが、そういうCA達の気持ちを分かってあげられるCAの基準者になろう!と思いました。
そんなLunaが、最近、鄭明析先生の実弟であるポンソク牧師から聞いた一言。
「自分がしていることを、人に理解してもらえなくていい」
ぐさっ・・・
これは、CAやLunaに対しておっしゃった言葉ではないのですが、Lunaに立ちはだかっていた壁を悟らせる、実に痛快な一言でした。
そして、アーメン!と言って、悔い改めました。
CAの基準者になろう!という志は間違っていないでしょう。
しかし、その動機が「誰もわかってくれないから」というのは、ダメだと思ったのです。
誰かがわかってくれても、わかってくれなくても、行くべき天の道を歩むのが、私たちの生。
誰かに理解してもらうために、私がやろう!という志は、根本的に間違っていると悟りました。
私たちが気にすべき対象は、人ではなく、ひたすら天ですからね。
人に分かってもらおうとする次元を抜け出す。
それが、自分を捨てる段階でしょう。
そして、その段階が、天が私たち人間に願われていらっしゃる次元なのではないかな、と感じています。
Luna