今週、主日礼拝の後。
青年部3人で話しをしていた時のことです。
Lunaも含めて、3人とも、信仰への熱さが冷めている感じがしました。
いや、はっきりと「熱くなれない」という話しまで出ました。
しかし、不思議なことに、Lunaの今の心境をありのままにみんなに語ってみたら、いつになく、涙が出そうになりました。
いつもならば、熱く、説教をする勢いで(笑)、最近感じた主との喜びの経緯を、熱くみんなに語るのです。
その日は、とてもそんな感じになれず、身体も疲れているし、いろいろあって、精神的にも疲れていて、正直に「私、今日は、集中して御言葉を聞けなかったです。最近こういうことがあって、こんなことに捉われている場合ではないのですが、本当にそのことがストレスで・・・」と話しているうちに、なんだか泣けてきたのでした。
それは、切実さ、ゆえだったのだと思います。
真実な告白。
いつも、嘘を言っているわけではないけれど、「私こんなにハッピーで、こんなに幸せで」と、熱く語っている時よりも、ある意味、私の心がじーんと熱くなったのでした。
喜びの話しもいいけれど、人生、いつも順調でない。
もがきの時に、真実な告白をした時に、切なる思いがこみ上げてきて、冷めていた心が熱くなるのかもしれません。
その後、心の冷えた(苦笑)3人でお祈りしたのですが、本当に不思議なことに、お祈りが終わった後に、みんながみんな泣いていました。
こんなことも初めてでした。
いつもならば、もっとみんな元気だけれど、元気ならば、元気だからこそ、主への熱い思いで、涙を流して祈ってもいいものなのに、誰も泣いていなかったように思います。
真実な告白。
これが大事なのだと悟りました。
心が熱くて元気でも、冷めていて元気がなくても、真実な告白をすること。
それが切なる祈りなのだと悟りました。
ただ、ブツブツ祈る祈りは、祈りの天使が神様の元に、その祈りを届けてくれないと言います。
私の祈りは、いつも切なる真実な告白だったのだろうか。
Luna