限界を迎えた頃に、その人の素が出るようになって、それがいい


最近、摂理ブログについて、ある方とお話していた時に、「みんなの摂理ブログを読んでいると、自分は何を書けばいいのか?もうよくわからなくなった!!もうネタがない!!と限界を迎えた頃に、その人の素が出るようになって、その記事がすごくいい」とおっしゃっていました。

確かに、Lunaも、そうでした。
ブログを書くネタもなければ、ブログの方向性もよくわからなくなり、「こんなブログいらない!閉鎖してしまえ!」と、思った矢先に、「社会問題への提言!摂理の御言葉の素晴らしさを力説!」といった当初のコンセプトから考えると、実にどうでもよすぎるグルメ記事やコスメ記事や、CA Lunaの徒然記事を書いて、その記事が意外にもヒットして、<CAブログ>ならではの味が出てくるようになりました。
もちろん、当初のコンセプトも、失わないように気をつけていますが、過去記事を読んでいただけたら明らかなように、過去記事は、毎日が「社会問題への提言」と「摂理の御言葉の素晴らしさの力説」でした・・・苦笑
それで、実際、読者から「毎日重たい記事だと、読む方も、辛い」と言われたこともあります。汗
本当だ、そんなに毎日熱く重たく力説されても、毎日がどんより、重たすぎて、読者の皆様も、読んでいて負担だったか、読む気にならなかっただろうなー笑
鄭明析先生も、いつもユーモアを欠かさないです。
だから、人々がついてくるのでしょう。

ところで、今回、「限界を迎えた頃に、その人の素が出るようになって、それがいい」という話しを聞いて、思ったことがあります。
それは、CAの面接も、同じかな、ということ。

CAになりたい!という思いが強くて、その熱い思いのまま、面接を乗り越え、一発合格!という方も、いらっしゃるとは思うのですが、CAにどうしてもなりたくて、落ち続けて、もうこれで最後の試験にしようと諦め半分で受けた頃に受かった、という話しもたくさん聞いたことがあるのを思い出しました。

熱いことは大事だけれど、熱すぎて、視野が狭くなると、自分の良さ(個性、素)を失ってしまうことがあるのではないかなと思います。

結構、「なんとなく受けたら受かった」「CA第一志望ではなかったんだけれど、ここしか受からなくて」「CAともう一つ内定もらったところとすごく迷ってこっちに来た」という現役CAが多い気がするんです。

Lunaも、「受かっても、受からなくても、人生は、縁だ」くらいの気持ちで受けました。
(ま、お祈りは、すっごいたくさんしましたし、前もって準備も、ちゃんとしましたけど。でも、お祈りも「絶対CAになりたいので、絶対受かるようにしてください」という自分本位のお祈りは一度もしませんでしたね。「これこれこういう理由で、CAになりたいと思っているのですが、この道が御心であれば、受からせてください。でも、この考えが自分の考えかもしれないから、もし、御心でなければ、必ず落ちるようにしてください」と祈りました。)

熱すぎると、自分の主張ばかり出てきて、相手(面接官)には煙たがれると思いますし、お客様にとっても、そうでしょう。
自分本位のサービスではなく、お客様目線で、サービスするわけです。

摂理ブログも、根本的には、自分の書きたいことを書くのではなく、神様が書きたいことを代筆するのです。
でも、そうなるためには、自分を捨てなければならないでしょう。
その段階に至るには、それなりの限界を感じる経験が必要なのだと思います。

そもそも、人としての限界を感じた時に、神様を呼び求めるようになるでしょう。
自分の素、個性、良さは、神様がご存知でいらっしゃいます。

限界を迎えた頃に、その人の素が出るようになって、それがいい。

これは、御言葉でも何でもないのですが、深い一言だな、と思いました。

Luna

ABOUTこの記事をかいた人

摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆