摂理で悟る神様と御子の心情ー映画『ノアの箱舟』を観て


W杯開催とほぼ同日、6月13日に映画『ノア 約束の舟』が公開されて、2週間ほど経ちます。
聖書と比較的遠い生活を送っている日本人の間では、それほど議論は起こっていないようですが、聖書を取り扱った内容であることから、キリスト教国では、宗教家や学者の間で、賛否両論、様々なようですね。
摂理では、これをどう捉えるか!?
気になるところかと思いますが、そのお楽しみは、またの機会にとっておくことにして、代わりに、Lunaが感じたことを、ほんの少しだけお話ししようと思います。
この映画を観て、真っ先に思い浮かんだ御言葉がありました。
聖書は、神様と御子が話された心情と御心で解かなければならない。
(2014年2月28日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

聖書に出てくる「ノアの箱舟」の話しは、「裁き」の話しと捉えられていますが、「裁き」と「愛」は、本来、表裏一体。
神様は、「愛」の根本体でいらっしゃいます。
それなのに、「ノアの箱舟」の話しに触れた方が、「裁き」そのものに焦点をあてて、「神様ひどい、神様怖い、神様よくわからない」と解釈してしまったら、とても残念なことです。
裁きを望まれない神様の「愛」に心を傾けて、神様の「心情」を悟る人たちがもっと増えることを願いました。
以前も、紹介しましたが、新約聖書に、このような聖句があります。
聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。
なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。
(新約聖書/ぺテロの第2の手紙 1:20ー21)

自分勝手な解釈を抜け出すためには、どうすべきか。
なかなか難しいですが、人間が作成した文献や映画に、数冊、数本、触れただけでは、不十分な気がします。
少なくとも、数年間、時間と労苦を費やして研究した学者や宗教家、映画監督ならまだしも、聖書に馴染みのない日本人が、「ノアの箱舟」にちょっと触れたくらいで、聖書のことがわかるほど、聖書が簡単な書物でないことは明らかですよね。
鄭明析先生は、聖書を3000回(!)読まれて、神様と御子の心情を悟ったとおっしゃいます。
ちなみに、聖書は、旧約聖書と新約聖書と合わせて、1700ページくらいありますので、
1700×3000=5100000ページ
うーん…
1日100ページ読んだとしても、51000日かかります。(5100000÷100=51000)
1年は365日。
51000÷365=139.726…….
てことは、1日100ページ読んでも、140年くらいかかるということ!?
……頭が痛くなってきました(;0;)
とにかく、宗教家や学者、映画監督でも、これほどストイックに読む方は、あまりいらっしゃらなさそうです。
「陸の果てが終わりだ」と思ったら、それ以上は行かない。
「陸の果てが終わりではない」と思って<海>に行けば、「島」も出てくるし、「陸」も出てくる。
<聖書の解釈>も同じくそうだ。
「これ以上はない」と思ったら、それ以上研究しない。
終わりまで全部し、よく見ていけば、まだある。
(2014年5月10日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

私たちも、その精神で、聖書を読み、御言葉を研究したときに、ようやく、神様と御子の心情がわかるようになるのでしょう。
Luna

ABOUTこの記事をかいた人

摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆