主日に行けない日。
リズムが崩れる気がする。
奇跡的に会社のスケジュールを調整できて、10月11月、2ヶ月間、毎月主日に行ってたのと、主日に会社でちょうどイヤなこともあって、なおさら珍しく落ち込んだ。
1年に一回か、1ヶ月に一度くらい行けないくらいなら、まだいい。
1ヶ月に一度行けたらいい方だから、これからCAをしている限り、何度主日に行けないのかと、はやく時が来たら仕事辞めたいな、と悲しく思った。
主日に行くことが核ではなく、核は、生活の中で、どれだけ聖霊と主とぴったりくっついて生きるかだが、その生を生きるために、その週の方向性をくださる大事な主日。
行けるならば、行ってこそ、その日、その週、得るべきものを得られるだろう。
それで、仕事を終えて、信仰生活全てを投げ出し、諦めたくなって、それでも、なんとか主日の御言葉をつかもうと、遅くなったけれど聞いてみたら、こういうものがあった。
<神経>が鋭敏で、その反応を「自分の心」が感じるのです。
そのような時は<神経>を治めなければなりません。
(2017年12月3日 摂理の主日の御言葉
「神経を鋭利にし、心で治めなさい。」)
そうだ。
負けちゃいけない。
神経を治めなければいけない。
再び立ち上がった。
やはり、御言葉が命だ。
Luna