今週、Lunaが機内でイラっとしてしまった、悔い改めるべき話し。
新人ちゃんに、
「コップを4袋持ってきていただけますか??もし持てなかったら、3袋でもいいです。」
とお願いしたら、普通、みなさん、何袋持ってきますか?
4袋か3袋だと思います。
5袋か2袋だったら、許容範囲かもしれません。
彼女は、10袋持ってきた・・・!!
新人ちゃんだから、しょうがないのですが、新人ちゃんの中でも、かなりの仕事の不出来具合だったため、ついに
「どうして、言われたことも、できないのかな」
と言ってしまいそうになったのですが、その心の声を必死でこらえて、とりあえず、サービスに集中しました。
少し経って、
それにしても、どうして、言われたことも、できないのか・・・
気をきかせて多く持ってきたのだろうか。
気をきかせるにしても、4袋か3袋にしていただきたい。
とモヤモヤしながら溜息をつくLunaに、聖霊様が一言おっしゃった気がします。
「聞いていないからだ。聞こえていないからだ。」
人は、あることに集中していると、どんな大きな音も、聞こえないといいます。
例えば、電車の中で、スマートフォンに集中していたら、車掌さんが、車両に轟く声でアナウンスを入れていたとしても、
降りる駅を聞き逃して、乗り過ごすでしょう。
そのように、「聞こえない」ことが、自分の不都合を被ったり、CAにちょっと迷惑をかけたり、する程度はいいですが、
時には、大きな事故につながることもあります。
御言葉もそうだ、と思いました。
確かに、身体は教会に来ていて、御言葉を耳にはしているのだけれど、聞いていない、聞こえていない時があるのではないだろうか、と。
聞く耳を持ち、言わんとしていることを、正確に把握すること。
職場でも、信仰生活でも、とてつもなく、大切です。
今週の主日の<本文>が、ちょうど、これでした。
そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
こう言って、モーセや全ての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
(新約聖書 ルカによる福音書24章25~27節)
つまり、預言者たちが説いたすべての事を聞く耳を持てず、言わんとしていることを正確にわからなかった、ということですよね。
時に応じて働かれる神様です。
耳があるのに悟れない者にならないよう気を引き締められます。
Luna