反応する人が少ないなあーと感じることがよくあります。
どんなコミュニティにおいても、反応があるのは、10分の1くらいかな(>_<)
聖書にある、10人のライ病人の話しを思い出します。
イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。 そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、 声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。 そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。
(ルカによる福音書17:11-17)
反応していない側は、全く悪気もなく、特別な意図もなく、ただ反応していないだけに過ぎないのかもしれませんが、アクションを起こした側としては、反応がないと、いろいろ気になります。
時には傷つきもします。
主も、そのように、心情を害されることが多いのでしょう。
それでも無条件愛するのが、主の愛。
とにかく愛さなければなりません。
愛で育てなければなりません。
あれこれ考えたらきりがありません。
(2018年9月15日 摂理の御言葉)
とにかく愛する。
無条件の愛。
そのような愛で人々に接したいですし、そのような天の愛に見合う反応を天にはもちろん、人々にも示す人になりたいです。
明日は、幸せな主日礼拝。
反応をたくさんしよう!!
Luna