変化し続ける ー摂理を長く走る成功の秘訣★


先日、摂理歴 約25年の方にお会いする機会に恵まれました。
鄭明析先生が日本に御言葉を伝え始めるようになって、約30年の月日が流れました。
つまり、日本の摂理史の草創期に、先生と生活を共にしながら摂理を走ってきた方です。
貴重なお話しの一部を、みなさんにも紹介したいと思います。
これだけ長い歳月、摂理史を走っていると、いろいろな人たちを見てきたそうです。
歌がうまい人
スポーツが得意な人
文章を書くのがうまい人
御言葉を熱く宣べ伝える人
…etc
比べて、「私には何の取り柄もない。私はいったい摂理で何をするのだろう。」とずっと疑問だったそうです。
決して自虐的な考えというわけではなくて、本当に取り柄がなくて、自身に何ができるのか見出すことができなかったので、「私は大器晩成型だろう」と思って日々過ごしていたとか。
そうしているうちに、取り柄があって輝いているように見えた人たちが、瞬間華やいで、瞬間消えていくことも少なくなかったと言います。
摂理を離れたということです。
「変化し続けてきた」
とその方は、おっしゃいました。
「だから、20年の歳月の間、摂理から離れることがなかった。
変化しなければ、今、摂理にいないかもしれないし、いたとしても、今の10分の1の水準にとどまっていただろう。」
と振り返っていらっしゃった、その方の言葉の重みが心に沁みました。
だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう。(新約聖書:マタイによる福音書9:16-17)
約30年間、宣布され続けている御言葉は、いつも新しいものであり、日々次元が高まっています。
その御言葉に合わせて、私たちの古いものを捨てて、私たちも、新しいものに変化し続けなければなりません。
変化することができなければ、御言葉の次元は高まっても、自分の次元を高めることができず、摂理史にいても、その価値がわからなくなります。
価値がわからなければ、摂理を離れるか、摂理史にいたとしても、ある程度の水準にとどまるようになるでしょう。
摂理史でも、その段階に行なって、その段階にのぼった人だけが、分かるし、ほかの人たちは分からずに生きる。
(2014年3月31日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

「変化し続けてきた」その方は、今、先生の近くで走っていらっしゃるステキな弟子の1人です。
何の取り柄もないように思えて、自身が摂理史で何をするのか、わからずにもがいた期間もあったようですが、「変化し続けてきた」ことが、最大の、そして最高の取り柄であったことがよくわかります。
変化とは、自分勝手に、変化するのではありません。
御言葉に合わせて、御言葉どおりに、変化し続けるのです。
「核」である「御言葉」をしっかりとつかんで、日々新たに生まれ変わり続けることで、御言葉と足並みを揃えて次元を高めていけますように★
Luna

ABOUTこの記事をかいた人

摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活を送る現役CAです。世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は、牧師の子どもであり、敬虔なクリスチャンでした。時を越えて飛行機と関わるようになったLunaが、鄭明析先生の御言葉と共に各地を飛び回りながら考えたことをお届けます。ブログをご覧いただく皆様の人生のフライトが、いつもハッピーでありますように☆